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最高裁判所第一小法廷 平成7年(行ツ)156号 判決 2000年7月17日

上告人

岩村計

右訴訟代理人弁護士

陶山圭之輔

小野毅

佐伯剛

堤浩一郎

南雲芳夫

宮澤廣幸

影山秀人

小口千恵子

宮代洋一

星野秀紀

小賀坂徹

被上告人

横浜南労働基準監督署長

最上健三

右指定代理人

山崎潮

外十名

主文

原判決を破棄する。

被上告人の控訴を棄却する。

控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人陶山圭之輔、同小野毅、同佐伯剛、同堤浩一郎、同南雲芳夫、同宮澤廣幸、同影山秀人、同小口千恵子、同宮代洋一、同星野秀紀、同小賀坂徹の上告理由について

一  本件は、支店長付きの運転手として自動車運転の業務に従事していた上告人(当時五四歳)が、昭和五九年五月一一日早朝、支店長を迎えに行くため自動車を運転して走行中くも膜下出血を発症し休業したことにつき、被上告人に対し、労働者災害補償保険法に基づき休業補償給付の請求をしたところ、被上告人が、右発症は業務上の疾病に当たらないとして、不支給決定をしたため、右決定の取消しを求めた事案であり、原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  上告人は、昭和四八年一〇月、自動車運転者の派遣を業とする会社に雇用され、東京海上火災保険株式会社横浜支店に支店長付きの運転手として派遣され、自動車運転の業務に従事していた。上告人の業務は、支店長の出退勤、支社等の巡回、客先回り、料亭やゴルフ場での接待等の際の送迎及び支店の幹部職員や顧客の送迎等であり、その範囲は、横浜支店の管轄する神奈川県全域の支社、出張所のほか、代理店、東京の支社、伊豆箱根方面のゴルフ場等であった。横浜支店に派遣されていた運転手は上告人一人であったため、自動車の清掃、整備等はすべて上告人の職務とされ、上告人は、車庫に帰った後や待機時間中に、清掃は毎日、洗車及びワックス掛けは数日に一度の割合で行っており、また、代車がないため、小さな故障の修理も行っていた。日々の運転予定は直前になって指示されることが多く、上告人は、待機時間中も、即座に運転に臨めるよう気を遣って待機していた。

2  上告人の勤務時間は、自宅から徒歩約五分の所にある車庫において運行前点検を始めた時から運行を終えて車庫に帰り自動車から離れるまでの間で、平日は午前八時三〇分から午後五時三〇分まで、土曜日は午前八時三〇分から正午までとされ、平日の正午から午後一時までが休憩時間とされ、日曜日、祝日及び隔週土曜日は休日とされていた。しかし、昭和五六年七月からは、支店長の異動に伴い支店長の送迎が一箇月の約半分は東京都新宿区所在の支店長の自宅までとなり、走行距離が長くなるとともに、勤務時間も早朝から深夜に及ぶようになった。同五八年一月から同五九年五月一一日までの上告人の時間外労働時間は一箇月平均約一五〇時間、走行距離は一箇月平均約三五〇〇キロメートルであり、特に、同五八年一二月以降の一日平均の時間外労働時間は七時間を上回り、右時間外労働時間には深夜労働時間も含まれていた上、同月以降の各月の走行距離もかなり多かった。これを平成元年二月九日付け労働省告示第七号「自動車運転者の労働時間等の改善のための基準」が一般乗用旅客自動車運送事業に従事する自動車運転者について定める基準と比較すれば、一箇月についての拘束時間においてその最高限度(三二五時間)に近いか又はこれを超える月が多く、一日についての拘束時間においてその最高限度(一三時間)を大幅に超える日が多く、勤務終了後の休息期間においてその最低限度(継続八時間)に満たない日が多かった。

3  昭和五九年四月は、一日平均の時間外労働時間が七時間を超えていた上、一日平均の走行距離(約一九二キロメートル)は同五八年一二月以降の各月の一日平均の走行距離の中で最高であった。中でも、同五九年四月一三日から同月一四日にかけての上告人の勤務は、午前六時四〇分に車庫を出発し、支店長を自宅に迎えに行き、各客先を回って箱根仙石原に送るなどした上同所で宿泊し、翌朝午前七時に同所を出発し、支店長を仙石原ゴルフクラブに送った上、横浜支店との間を往復し、さらに支店長を自宅に送るなどした後、午後九時一〇分に車庫に戻り、清掃後、午後九時三〇分ころ帰宅したというものであり、その走行距離は一三日が二四八キロメートル、一四日が三四七キロメートルに及び、上告人は、宿所で同室の者のいびきのため一睡もできなかった上、長距離、長時間の運転をしたため、体調を崩した。

4  昭和五九年四月下旬から同年五月初旬にかけて、断続的に六日間の休日があったものの、同月一日から同月一〇日までの間、勤務の終了が午後一二時を過ぎた日が二日、走行距離が二六〇キロメートルを超えた日が二日あった。同月一〇日、上告人は、午前五時五〇分に車庫を出発し、午後七時三〇分ころ車庫に帰ったが、午後七時五〇分ころ、清掃中にエンジンオイルの漏れを発見し、午後一一時ころまで掛かって修理し、翌日午前一時ころ就寝した。同月一〇日の走行距離は七六キロメートルであったが、上告人は、待機時間中、洗車及びワックス掛けをしている。上告人は、同月一一日、三時間三〇分程度の睡眠の後、午前四時三〇分ころ起床し、午前五時少し前に車庫に行き、運行前点検を済ませ、支店長を迎えに行くため自動車を運転して車庫を出たが、その後まもなく走行中に気分が悪くなり、本件くも膜下出血の発症に至った。

5  上告人は、昭和五六年一〇月及び同五七年一〇月の各健康診断において血圧が正常と高血圧の境界領域にあり、高血圧症が進行していたが、治療の必要のない程度のものであった。上告人には、酒、たばこ等健康に悪影響を及ぼすと認められるし好はなかった。上告人は、同五八年ころからは、顔色が悪く、目が充血していることが多くなり、常時気分がいらだっていて、もともと我慢強い性格であったにもかかわらず、しばしば睡眠不足を訴えていた。

6  上告人の本件くも膜下出血は、脳動脈りゅうの破裂によって発症した蓋然性が高い。脳動脈りゅうは、先天的に発生すると考えられてきたが、後天的に発生するとする見解も存在し、上告人の場合が先天的なものか後天的なものかは不明である。脳動脈りゅうの発生と高血圧との間に直接的な因果関係があるか否かについては十分には明らかにされていない。脳動脈りゅうの血管病変は慢性の高血圧症、動脈硬化により増悪するものと考えられており、くも膜下出血の危険因子としては一般的には慢性の高血圧症が挙げられている。脳動脈りゅうは、慢性の高血圧が持続し、その壁が薄くなって増大し、臨界に達しているところに、一過性の血圧上昇を来す動作によって破裂するに至る。右破裂の契機となる血圧上昇は、単純に動脈血圧が上昇する高血圧や精神的ストレスによる一過性の高血圧よりも、排便、前屈等の日常動作によって生ずる一過性の高血圧であることが多いと考えられており、急激な血圧の上昇と深く関連があるとされる。慢性の疲労や過度のストレスの持続は慢性の高血圧症、動脈硬化の原因の一つとなり得るが、くも膜下出血の直接の原因とはいえない。

二  右事実関係の下において、原審は、上告人の本件くも膜下出血について、脳動脈りゅうが加齢とともに自然増悪し、たまたま上告人が従事していた自動車運転業務の遂行過程において破裂したものであって、上告人の基礎疾患である脳動脈りゅうの発生、増悪に自動車運転業務による血圧上昇が共働原因となったとは認め難い上、自動車運転の遂行が精神的、身体的に過重負荷となって高血圧症を急激に増悪させくも膜下出血を発症させる高血圧症と自動車運転業務とが共働原因となってくも膜下出血が発症したとも認め難いから、上告人の発症した本件くも膜下出血は労働基準法施行規則三五条、別表第一の二第九号にいう「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するとは認められないと判断した。

三  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

前記事実関係によれば、上告人の業務は、支店長の乗車する自動車の運転という業務の性質からして精神的緊張を伴うものであった上、支店長の業務の都合に合わせて行われる不規則なものであり、その時間は早朝から深夜に及ぶ場合があって拘束時間が極めて長く、また、上告人の業務の性質及び勤務態様に照らすと、待機時間の存在を考慮しても、その労働密度は決して低くはないというべきである。上告人は、遅くとも昭和五八年一月以降本件くも膜下出血の発症に至るまで相当長期間にわたり右のような業務に従事してきたのであり、とりわけ、右発症の約半年前の同年一二月以降は、一日平均の時間外労働時間が七時間を上回る非常に長いもので、一日平均の走行距離も長く、所定の休日が全部確保されていたとはいえ、右のような勤務の継続が上告人にとって精神的、身体的にかなりの負荷となり慢性的な疲労をもたらしたことは否定し難い。しかも、右発症の前月である同五九年四月は、一日平均の時間外労働時間が七時間を上回っていたことに加えて、一日平均の走行距離が同五八年一二月以降の各月の一日平均の走行距離の中で最高であり、上告人は、同五九年四月一三日から同月一四日にかけての宿泊を伴う長距離、長時間の運転により体調を崩したというのである。また、その後同月下旬から同年五月初旬にかけては断続的に六日間の休日があったとはいえ、同月一日以降右発症の前日までには、勤務の終了が午後一二時を過ぎた日が二日、走行距離が二六〇キロメートルを超えた日が二日あったことに加えて、特に右発症の前日から当日にかけての上告人の勤務は、前日の午前五時五〇分に出庫し、午後七時三〇分ころ車庫に帰った後、午後一一時ころまで掛かってオイル漏れの修理をして(右修理も上告人の業務とみるべきである。)午前一時ころ就寝し、わずか三時間三〇分程度の睡眠の後、午前四時三〇分ころ起床し、午前五時の少し前に当日の業務を開始したというものである。右前日から当日にかけての業務は、前日の走行距離が七六キロメートルと比較的短いことなどを考慮しても、それ自体上告人の従前の業務と比較して決して負担の軽いものであったとはいえず、それまでの長期間にわたる右のような過重な業務の継続と相まって、上告人にかなりの精神的、身体的負荷を与えたものとみるべきである。

他方で、上告人は、くも膜下出血の発症の基礎となり得る疾患(脳動脈りゅう)を有していた蓋然性が高い上、くも膜下出血の危険因子として挙げられている高血圧症が進行していたが、同五六年一〇月及び同五七年一〇月当時はなお血圧が正常と高血圧の境界領域にあり、治療の必要のない程度のものであったというのであり、また、上告人には、健康に悪影響を及ぼすと認められるし好はなかったというのである。

以上説示した上告人の基礎疾患の内容、程度、上告人が本件くも膜下出血発症前に従事していた業務の内容、態様、遂行状況等に加えて、脳動脈りゅうの血管病変は慢性の高血圧症、動脈硬化により増悪するものと考えられており、慢性の疲労や過度のストレスの持続が慢性の高血圧症、動脈硬化の原因の一つとなり得るものであることを併せ考えれば、上告人の右基礎疾患が右発症当時その自然の経過によって一過性の血圧上昇があれば直ちにに破裂を来す程度にまで増悪していたとみることは困難というべきであり、他に確たる増悪要因を見いだせない本件においては、上告人が右発症前に従事した業務による過重な精神的、身体的負荷が上告人の右基礎疾患をその自然の経過を超えて増悪させ、右発症に至ったものとみるのが相当であって、その間に相当因果関係の存在を肯定するということができる。したがって、上告人の発症した本件くも膜下出血は労働基準法施行規則三五条、別表第一の二第九号にいう「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するというべきである。

四  以上によれば、原審の前記判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、前記説示によれば、上告人の請求を認容した第一審判決は正当として是認すべきであるから、被上告人の控訴を棄却すべきである。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大出峻郎 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄 裁判官町田顯)

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